俺よく鈴虫寺に行くんだよーって話。

やっぽー。みんな息してる?

天明家(さっさと消えたい)の直希君だよー⭐️

 

コロナ自粛で暇だから書きまーす

 

鈴虫寺知ってます?皆さん
華厳寺って名前の臨済宗のお寺さんで
京都嵐山から少し離れて
松尾大社のさらに奥にひっそりと佇んでいるお寺さんなんですけども


なんで鈴虫寺、というのかというと
鈴虫が一年中鳴くような環境を作り、
そこで鈴虫を飼っているため、いつ行っても鈴虫の鳴き声を聴くことができるからなんですね。

 

境内に入り、お寺に進むと大広間があって、住職さんをはじめとしたお坊さん方が30分の説法を聞かせてくれるんですね。
その大広間で鈴虫が鳴いているんです。

 

前置きはさておき、では何が凄いのか。
その鈴虫寺には、日本全国で唯一

 

裸足ではなく、草履を履かれているお地蔵様がいらっしゃるんです。
そのお地蔵様が、参拝し、願い事をした人みんなのお家に周りに行き、

お願い事を一つだけ叶えてくれるんですね。

 

でも中にはマジで願い叶った人もいれば

全く願いが叶わなかった人もいるんですね。

 

では僕の場合はどうか…?今のところ7度参拝に行き、4つの願いを叶えました。(まだ叶えてないお願いは含まず)

 

そんな鈴虫寺についてこれから書きます。

1.いつ、どのような願い事をして、いつかなったかの纏め

 

2.逆に叶わなかった時はどうだったのか

 

3.それらを踏まえて、参拝にあたって心掛けるべきポイント

 

この三つを書き記していきます。

 

1.どんな願い事した?いつ叶った?

 

最初に訪れたのは俺が新卒社会人だった2017年の7月。当初、仕事があまりにも嫌過ぎて、でも俺はこの世界で戦って行かなければならないんだっていう強迫観念とも戦っていた。そんな自分に少しでもキッカケが欲しくて鈴虫寺にカチコミに行きました。

 

その時、自律ができるようになりますように。とお願い事をしたんです。あまりにも仕事ができなさ過ぎたから、少しでも仕事できるようにならないといけないな…と思ったことでそう念じました。

 

結果は… 🙅

かないませんでした。

 

2回目。年末に行ったんだったかな。

確か、今の仕事で成果を出せますように。だったかな?忘れてしまった。とにかく叶わなかった。

 

次から怒涛の四回連続で自分の願い事が叶った。

 

3回目。一昨年2018年の7月。新卒で入った会社を退職し、ニートを経て、飲食のアルバイトで食いつないでいたときに来訪。大学の部活の友達、登坂まさのりと一緒に行ったかな。

お願いした内容は「僕に一番ふさわしい仕事に巡り合うことができますように。」

当初は、その年中、来年でもありがたい。

来年あたりになったら、自分を受け入れてくれるところ見つかるといいな…それくらいの気持ちでした。

 

結果、11月に自分がどーしても参画したかったカンノークで働く事を許してもらえたんです。自分は働かないだろうな、仮に働けたとしても、経験を十分に積んだ来年以降にでもコウさんにラブコール送ってみよう。それくらいに思っていたら、その三ヶ月後にお誘いを頂けました。これ叶ったときはとっても嬉しかったな。

 

4回目。それが叶った年末大晦日、妹と一緒に来訪。お願い事の内容は、新しい二号店をカンノークが展開して、そこで店長になれますように。10月頃にはそれができてることを祈りたい。

これをお願いしました。

 

結果は、カンノークとハディーカで業態を分けて、その二ヶ月後の三月いっぴには自分のカンノーク店長就任が決定しました。

二号店の店長、という意味合いでは違いましたが、想定していたよりも早く、かつ本質的な部分で願いが叶いました。

 

それが叶って一ヶ月後の3月末に5回目。

業界のなかで、自分がある一定の地位を獲得できるようになり、カンノークと言えばナオキと言われるようくらい名前を売りたい。

このように願いました。

ハッキリとした結果としては現れてはいませんが、結果として色々な業界の方、お客様に僕を個人として認識していただけるようになり、カンノークを毎日誰かしらの常連さんがいらっしゃるような環境を作り上げることに成功したと考えると、叶ったと言ってもいいのでは無いかなと思ってます。

 

次に7月に6回目

業績も右肩上がり、次のステップも見据えた上で働きたいと思い、

カンノークの次のステップへの足掛かり、キッカケなどが出てきますように。確かこう願いました。

それも、成果が出るのに少し時間かかったのと、あまり詳しくは言えないですが、今年の3月初頭に大きなキッカケがあり、そこから僕の意識、人との会話の内容がガラッと変わりました。叶ったと言ってもいいと思います。

 

そして直近。3月の中旬。

こちらはまだ叶ってない願いですが、さまざまな方々の助けあり、実現するのでは無いか?という見通しが実際に立っていますし、4月から現にその第一歩を踏み出せています。でもまだまだ夢の途中。

 

 

2.叶わなかった時、なぜ叶わなかったか

最初の1、2回目は叶わなかった。

なぜか。これは振り返ると明らかな原因がありました。

①お願い事があまりにも漠然としていすぎた

②そのお願い事を叶えるのに主体的に動こうとしなかった

③周りへの効果の波及を一切考える自分本位であった

この三つかな。いきなりブラックな職場がホワイトになるみたいな事はなかなか起きえないし、自分ら下々の人間が深キョンとお付き合いするだなんて到底考えられないことじゃ無いですか。堕落していた人間がある日突然真面目になるなんてこともよほどのことがない限り起きえない話。あの時の自分は無理なお願い事をしていたなっと思いました。

 

3.心掛けるポイント

それらを踏まえて

 

①真剣に願い事を叶えるという意思及び行動

②他の人たちに役に立てるかどうか

③お願い事が身の丈に合ってるか

この3つがキーになってくるんだと思うんです

 

和尚さんも、説法の時に、自分の普段の生活を踏まえた上で、本当に達成したいと思える事柄をお願いしろという旨の話をしてました。

実際その二つは、自分の願望をそのまま漠然と投げただけだったんですよね。失敗するわけっすよ。

でも、カンノークに立ちたい、そこで店長として頭張りたい。次の自分の選択肢のためにも、名前をしっかり売っていきたい。

これらって自分が達成したいと心から思えるような課題だったり、目標でした。

それらの実現のために大真面目に仕事しましたし、お願い事のほとんどは想定していた時期よりもはるかに早く達成させることができた。

あまりにも次々に、自分が望んでいた事が実現されていってるので、僕としてはこの鈴虫寺のお地蔵さんのご利益を信じないわけにはいかなくなりました。そのお願い事達の結果の波及は、結局、他の人の幸せ(居場所がある、美味しいシーシャが吸えるなど)に繋がっていたと思ってます。

 

最後に

 

夢を持ち、その夢に愚直に努力する人

お願い事が仕事とかに関係ないが、前向きに生きている人

是非鈴虫寺に行ってください。

叶えたい事がハッキリとしていて、それは地に足をつけた願い事でかつ、人を幸せにするお願い事であればきっと叶えてくれます。

かずねんの勇退に際して【成蹊ESS】

こんにちは。

 

9月にやっと「某僕が就きたかった念願の職」を手に入れたと思ったら秒でクビにされたリスちゃんだよ🐹

※明らかなコンプラ案件なので業界名等敢えて伏せてます。

 

クビは店長からの

週7で働けっていう条件を拒否ってしまったので

条件と価値観が合わなかった結果でした。

 

_人人人人人人人_

> 週7で働け <

 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄

 

「お前まだ25だろ?若いんだから働けるよ。

たくさん働いたらハワイに行けるよ?

と店長に言われた時は流石に耳を疑ってしまいました。

週7薄給でいつハワイに行けるんだよ

 

まあ店長には、31連勤x∞に応じることが出来ず

申し訳なく思ってます。草々。

 

さて、成蹊の可愛い後輩様の一人である、かずねんこと川端和音様が成蹊ESSディベートセクションを勇退するって事だから、ノリで寄稿しようと思います。

かずねんと僕は学年が3つ離れてて、僕が勇退し終わった後うちに入ってくれたのでギリ被ってます。昔、かずねんCHEMISTRYに所属していたらしいよ。うちのうぶげ可愛い。

 

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寝顔撮ろうとしたらいきなりムクッと起きてきやがった寝顔撮らせろ

 

さて。

 

かずねん

 

勇退おめでとうございます!!!!!!!

 

かずねんは特によくやりきったと思いますよ!

心からすごいと思います。大変ご苦労様でした。

かずねんは五人いた同期の中で、他が一年もせずに辞めたりした中、同期なしのたった一人だけディベートをずっと続け、今回の勇退という大きな節目を迎えるまで継続させた偉大なる伝説の女傑です。一人だけだよ?冗談抜き。

 

こっからマジレスに移る&少し話が逸れるんですが

ディベート界に2年のBP Noviceが終わっても尚継続するディベーターはかなり少ないと思ってます。

ただでさえ

エリザベ、胃腸肺、紅葉、梅子、アジ橋、ICUT、春T、Geminiなどなどと、1年の時から数多くの大会という名のまあまあ過酷な篩にみーんな振るい落とされます。

明確に勝ち負けで色々決まるし、スピーカーポイント(以下SPと表記)という名の個人成績もつくし、自分の内面を鏡で照らし合わせ続けるような拷問を最初から堪えて、戦っていかなきゃいけないのは過酷だと思います。

某インステでは昔、新歓で30人以上入ってくれたのに、

指で数えるほどしか残らなかったという噂まで聞いてます。

僕と同期のディベーターも最初は総じて100人は優に超えてたはずが、

気が付いたらイツメン(意味深)しか卒業時まで残りませんでした。

 

さらに言うなら、大学間での実力差も顕著。

指導力や、マンパワーの大きさでやはりそーゆーのってブレちゃうんじゃないかなって思っちゃうんですけど、ディベートって自分で考えて、練習もして、それが勝ちとかSPに反映されるから面白い所ってあるじゃないすか。

でもディベートって考え方とかもまあまあ小難しかったりするから、

その「ディベートを楽しく、正しいとされるやり方で興じられる」レベルにまで到達するには並大抵の指導力やモチベーションでは厳しいと思ってしまいます。楽しくないと努力とかしたくないじゃないですか。

 

それを確保できない大学や高校などあらゆるインステって、僕が聞く限り数あまた存在してると思います。何を隠そう、僕が入って(2013年)以後の成蹊もその1つです。

他大学に乗り込もう、実力者を練習会に呼ぼう、

これらはコネクションも無ければ実力に自信のない我々にはハードルがとても高いことなので、コミュニティ間の壁も自然と出来てしまいます。悪循環ですね。

 

それらの要因も相まって、自分らが興じている高校大学でのパーラメンタリーディベートって実は継続するのがかなり難しい(継続出来る確率がかなり低いの方が正確かも)競技だなーって思います。

 

なので、三年のこの時期までディベートを続けること自体、ありえん程普通のことではないので、この時期までディベートをしているガチ勢含むディベーター様の面々には心から敬意を払いたいと思います。根気よくディベートにしがみついてるその他現役ディベーターの皆さんにも同様です。

 

それらも踏まえて

先ほども言った通り、更にかずねんは一年の時に3人に辞められ、更に残った1人もGeminiを最後に辞められ、そこから一年半程ずっと同期がいない環境ディベートをしていました。

更に、その1つ上もレギュラーでの参加が実質あやちょ1人、なのに一個下は22人もの一年生を抱えた凄まじくアンバランスな状態で成蹊ESSを運営し続けてました。

あやちょ達勇退後は就活などで相談に乗ってもらう機会が少なかったであろうし、周りにはそれを支えてくれる対等の立場の同期がセクション内には皆無。それと並行して自身のディベートにも向き合わなければいけない。上記の後輩育成に関しても、自分自身が頑張らないといけない中、やはり自分一人ではエジュケーションにも限界がある。後輩も伸び悩んだりしてかずねんには頼りたい事沢山あると思う。色んな問題もあったと聞いてる。そんなん絶対誰かに支えて欲しいし、今まで部内で分担するべき仕事が全て自分に降りかかってくる。そんな立場を逃げずに死守し続けてました。

誰よりも孤独だったんだろうなと察します。

そんな中でも、他大学との折衝に全力で行なっていたり(よく他大学の後輩から、「かずねちゃん」の名前を聞くようになりました)、今まで放置状態だった成蹊ディベセクのツイッターでの広報活動の積極的な運用など、上の代が積極的にやろうとしてこなかった成蹊ESSのブランディング(?)なども積極的でした。また、後輩がみんな口々にかずねんのことを慕ってあるような口振りをしていたのも見ているので、最低限すべき事をこなしていただけではなく、セクションの長としての役割を目一杯果たしていたかずねんは本当に努力家で、部のために一途に頑張ってきたのだと思います。小学生並みだけども。

 

更に本人は僕と話す時、常に何事も無かったかのような態度で接してくれます。どんなに問い詰めても(笑)、

「仮にそうでもそれは私が選んだ道ですので(苦笑)」

と言い放ち、一切ネガティブな言葉を口にしないかずねんの信念の強さには圧倒されました。

これらの状況を、二年、三年時部の運営を同期に任せ、ディベートにバイトに自主休講にGPA0.3と自由気ままにプラプラ奔放していた僕からしたら絶対耐えられねーなーて思います。よく卒業できたな俺

 

そんな当たり前じゃない事を当たり前そうな顔をして、無限にある艱難辛苦を乗り越えてやりおおせたかずねんの偉大さには僕は頭が下がるばかりです。

 

そんなかずねんが勇退となると、やはり感慨深いものがあるなと思ってしまいますし、今いる二年が未だに21人(正確かは分からないが)も残り続けている成蹊ディベセクを作り上げたかずねんの成果には感謝の言葉が尽きません。そろそろ眠たくなってきた。

 

2つ上のKVさんや1つ上の先輩方は勇退関係なしにその後もディベートしまくってましたかね。俺自身も、当日は勇退飲み開始早々30分で酒弱いくせに勝手にペース無視して飲みつづけて一人でぶっ倒れ、勇退の日直後の練習にも何食わぬ顔で登場するという過去があり、今まで勇退とかなんてことねーし重要じゃないし、ふつーに今まで通りだし。何なら大会も勇退前より出まくってるし。てか今度の大沢杯出るわっ

といういい加減ぷりだったので、後輩の勇退にも無頓着でした。勇退とかマジで意味をなさないと思っていたんで。

 

でも、うちの二年生がかずねさんの勇退で涙が出そう、と言っていたり、去年あやちょが号泣しているのを目の当たりにしてると、うるっとくるものはありますね。

 

やっぱり、自分達が組織の上だった頃に入ってくれた子達が、最後まで自分達が守り続けたディベセクで大きく成長していき、立派に勇退していく様を見てると親にでもなった気分になります。なんかごめんなさい。

 

現二年生の方々にも一言言いたいことがあります。

あなた方は、自分が勇退を迎える時、どんな姿になっていたいですか?ちょっとイメージを膨らませてみてください。俺は勇退を迎える時までには彼女はせめて作っていたいと思っていました。出来ませんでした。

 

 

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最後まで見てくれたあなた、かずねんに会ったりしたらお疲れ様😁って言ってあげてください。

篠崎こころ様をupしときます